メジャーリーグ・ドジャースに移籍した佐々木朗希投手は、2023年3月11日にWBC戦でデビューを果たしています。
「3・11」は、佐々木朗希選手にとって運命の日!
実は、最愛の父親と祖父母を東日本大震災で亡くした日なんです。。
佐々木朗希選手の津波に奪われた父親との絆!壮絶な生い立ちに隠された想いをお伝えします!
どうぞ最後までご覧ください!
佐々木朗希の津波に奪われた父親との絆!
14年前の2011年3月11日。
東北地方を襲った東日本大震災で佐々木朗希選手は父親・功太さんと祖父母を亡くしました。
父親・功太さんは、享年37歳でした。

引用先:スポニチ
佐々木朗希選手は、当時9歳。
東日本大震災の地震発生当時、陸前高田市内の小学校にいました。
佐々木選手は、近くにあった高台に避難し助かることができました。
ですが、自宅は津波で流され、愛する父・功太さんと祖父母も津波が奪い去っていったのです。
津波によって奪われた父親との別れには、計り知れない悲しみだったでしょう。
そんな佐々木朗希選手を支えてくれたのが、父親が教えてくれた野球だったのです!
佐々木朗希の壮絶な生い立ちとは!?
大黒柱である父親を亡くした佐々木家には、壮絶な生活が待ち受けていました。
壮絶な生い立ちエピソードをまとめました!
壮絶な生い立ちに隠された想いとは一体何だったのでしょう?
日本中に大きな影響を与えた東日本大震災。
東日本大震災が起こった直後、佐々木朗希選手は母・陽子さんの親族の住む大船渡市に引っ越し、老人ホームでの生活を余儀なくされたそうです。
突然の父との別れや生活環境の変化など、幼い佐々木朗希選手にはとてもつらい日々。。
背負いきれない悲しみを埋めてくれたのが野球だったそうです。
当時の事を以下のようにコメントされています。
「やっぱり野球してる時が一番楽しかった。夢中になれる時間というのがあったおかげで大変な時もつらい時も頑張れた。本当に野球があって野球を知れてよかったと思う」
引用先:スポーツ報知
突然起こった東日本大震災。
壮絶な生い立ちの環境の中、佐々木朗希選手を支えたのが、父が楽しさを教えてくれた野球だったのです。
佐々木朗希の父親への隠された想いとは!?
父親との思い出が詰まった野球を日々練習し続け、大船渡高では剛腕として脚光を浴びる存在となりました。
日本選手最速の急速、165キロを武器についにWBC日本代表にまで上り詰め。
父親との別れの日である特別な日「3・11」に世界デビューを果たしました‼︎
WBC開幕前から佐々木選手はこのようにコメントされています。
「個人がどうこうよりもチームの勝ち負けが本当に大事。結果的にチームが勝てればそれが100点」
引用先:スポーツ報知
日の丸を背負う覚悟を語っていた佐々木朗希選手!
被災した故郷のため、佐々木選手自身の夢をかなえるためにWBCで戦いました。
計り知れない悲しみを乗り越えながら、12年の時を経て、同じ日に世界の舞台に立つ姿に感慨深いものを感じました。
3月11日はご家族にとっても特別な想いの詰まった日になることでしょう!
佐々木朗希の経歴・成績
佐々木朗希選手の凄すぎる経歴・成績をまとめました!
【佐々木朗希(ささき・ろうき)】
生年月日:2001年11月3日
出身地:岩手県陸前高田市
年齢:23歳 ※2025年2月時点
身長:192cm
体重:92kg
小学3年生の時に野球を始め、大船渡高校では甲子園出場経験なしにも関わらず、19年のU―18日本代表に選出。
4球団の競合の末に19年ドラフト1位でロッテに入団しました。
プロ3年目の成績は、20試合に登板し9勝4敗、防御率2・02。
存在感ある投球で今後も世界を視野に活躍の場を広げていきそうですね!
まとめ
今回は、「佐々木朗希の津波に奪われた父親との絆!壮絶な生い立ちに隠された想いとは!?」と題しまして、ご紹介しました。
13年前の2011年3月11日。
東北を襲った東日本大震災で佐々木朗希選手は父親・功太さんと祖父母を亡くしました。
突然、津波によって奪われた父親との別れ。
背負いきれない悲しさを埋めてくれたのが、父が教えてくれた野球でした。
被災した故郷のため、佐々木選手自身の夢をかなえるため、2023年3月11日のWBC戦で世界デビューを果たしました!!
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