2024年のドラフト会議では、5球団(ソフトバンク・日本ハム・西武・広島・楽天)から1位指名を受けていたのが宗山塁選手です。
ミート力のあるバッティングと高い守備力を兼ね合わせている選手で、プロ野球球団・楽天で選手生活をスタートさせます。
そんな宗山塁選手の父親や職業が気になりますよね!
プロ野球選手となった宗山塁選手の活躍の影には、父親と過ごした濃厚な9年間や熱い想いがあったそうです。
今回は、「宗山塁の父親の年齢や職業は?元高校球児が息子に託した9年間の想いとは」と題しまして、ご紹介します。
宗山塁の父親の年齢や職業は?
引用先:Yahoo!画像検索
宗山塁選手の父親の名前は、宗山伸吉さん。
1974年11月9日生まれの年齢50歳です。※2024年11月時点
気になる現在の職業は、広島県三次市役所の職員として勤務されています。
【プロフィール】
名前:宗山伸吉(むねやま しんきち)
生年月日:1974年11月9日
年齢:50歳
職業:広島県三次市役所の職員
現在は、広島県三次市役所に勤めながら、少年野球で監督として指導しているようです。
三良坂少年野球部の監督として6年間、高陽スカイバンズ(軟式)のコーチとして3年間指導した経験があります。
年齢50歳ですが、いつまでも若々しい雰囲気をお持ちのお父様ですよね!
父親も広陵高校出身の高校球児だった
父親・宗山伸吉さんも宗山塁選手と同じく、広陵高校の野球部出身です。
高校時代は外野手として活躍し、50m走6秒0という俊足の持ち主だったそうです。
ですが、高校2年生の時に右膝を痛めてしまい手術、高校3年生の時には裏方として野球部メンバーを支えました。
伸吉さんは高校2年秋、右投げ左打ちの俊足外野手としてベンチ入りしたが、その後、右膝を痛め、半月板を手術し、プレーヤーの道を断念。最後は裏方として、チームを支えた。
引用先:ベースボールONLINE
広陵高校で甲子園を目指していたこともあり、宗山塁選手が野球を始めるキッカケを作ったのも父親の存在でした。
宗山塁選手が野球を始めた小学校1年生の頃から、熱心に野球の指導にあたっていたそうですよ。
父親自作の野球練習場で毎日練習
引用先:ベースボールONLINE
父親・宗山伸吉さんは、宗山塁選手の練習を積み重ねるために、自宅の庭に野球練習場を作りました。
雨の中でも練習できるように屋根も設置して、小学校1年生の頃から高校入学までの9年間毎日欠かさず野球の練習を続けてきたと言います。
練習内容もとてもハードで、足が速くなるための練習から腕の筋肉を鍛えるための練習。
野球で通じた親子の絆が垣間見えますし、それを続けていく忍耐力がある宗山塁選手もすごいですよね。
息子に野球を託した父親の想い
引用先:Yahoo!画像検索
2003年2月27日に生まれ「塁」と命名したのは、父親・宗山伸吉さんの「息子に野球を託したい」という強い思いからでした。
伸吉さん自身も甲子園を目指す高校球児でしたが、怪我のためにプレーヤーとしての夢を断念した経緯があります。
宗山塁選手には、野球を続けられる喜びや大切さを伝えてきたそうです。
野球を本格的に始めた小学1年以降、塁に言い続けてきたのは、高い目標を持つ大切さです。やるべきことを明確にしておかないと、ただ、やみくもになって練習しても、決して上達はしません。課題を一つひとつ、クリアしていく。あえて口に出すことで退路を断ち、自分の言葉に責任を持つことも大切です。
引用先:ベースボールONLINE
「高い目標を持つ大切さ」を伝え続け、9年間という長い期間を一緒に練習してきました。
プロ野球選手となった宗山塁選手の努力の影には、父親・宗山伸吉さんの熱い想いや存在が大きかったのは間違いありませんね。
まとめ
今回は、「宗山塁の父親の年齢や職業は?元高校球児が息子に託した9年間の想いとは」と題しまして、ご紹介しました。
父親の名前は、宗山伸吉さん。
年齢は50歳で、職業は広島県三次市役所の職員です。
宗山塁選手と同様、広陵高校の野球部出身で元高校球児でした。
高校球児だったこともあり、宗山塁選手の練習も幼い頃から一緒に二人三脚で続けてきました。
その結果いまの成績や頑張れる力があるのではないでしょうか。
かっこいいだけでなく、野球でのプレーも素晴らしいのでますます注目の選手として名が知られていきそうです。
これからプロ野球生活が始まり新たな環境となりますが、家族の支えも受けながら躍進していきそうですね。
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