2023年に開催されたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に初出場し、注目された宮城大弥選手!
宮城選手は、父親・母親に8人兄弟という大家族で育ち、幼少期には相当な貧乏生活を送っていたそうです。
家族10人で過ごした壮絶貧乏伝説とは一体どんなものなのでしょう!?
貧乏伝説と伝えられているエピソードを調査しました!
ここでは以下のことをまとめました。
・宮城大弥は8人兄弟!父親・母親どんな人?
・宮城大弥の実家の貧乏伝説とは?
・宮城大弥の誰にも負けない野球の才能
・宮城大弥は高卒でプロ契約!約2000万円を寄付
どうぞ最後までご覧ください。
宮城大弥は8人兄弟!父親・母親どんな人?
侍ジャパンとして活躍された宮城大弥選手、その家族は父親・母親に8人兄弟という総勢10人の大家族で育ったようです。
【両親】
・父親:宮城亨さん
・母親:宮城礼子さん
実は、父親と母親は再婚同士でそれぞれにお子さんがいらっしゃいました。
どんなご家族なのか見ていきましょう!
宮城大弥は8人兄弟
宮城大弥選手は、なんと!兄が3人、姉が3人、妹は1人いる8人兄弟なんだそうです!
宮城選手は、8人兄弟の7番目になります。
宮城選手の出身は沖縄県です。
沖縄の方は結婚が早く兄弟が多い印象はありますが、それでも8人兄弟というのは相当多いですよね。
実は、父親と母親は再婚同士で、それぞれに連れ子さんがいたようです。
上6人の兄弟の情報については一般の方のためか、情報公表されていませんでした。
しかし、妹は「ドラフト緊急特番」に両親とともに出演。
その時の画像がコチラです!
引用:タノタビ
目鼻立ちが整っていて、とっても美人さんですよね!
妹さんはネット上でも「可愛い!」と評判になりました。
宮城大弥の妹:宮城弥生
宮城大弥投手の妹さんは、WBCの時にも超可愛いと注目を集めていました。
妹の名前は、宮城弥生(やよい)さん
妹・弥生さんの年齢は、現在19歳。※2024年12月時点
とっても目鼻立ちのハッキリとした美人さんです。
WBC開催時には、妹・弥生さんがWBCのグッズを購入するために行列に並んでマスコミの取材を受けたり、「お兄ちゃん大好きです!」とスマホの待ち受けが兄の寝落ち写真であることを明かしていました。
お兄ちゃん想いの可愛い雰囲気に「超絶美少女」「めちゃ可愛い」とネット上でも大きな反響を呼び、芸能プロダクション4社からスカウトのオファーがあったそうです。
現在、大手芸能プロダクション「ホリプロ」に所属が決まり、芸能活動を始められています。
とっても可愛い妹・弥生さんと、宮城大弥投手のTV共演も楽しみですね!
宮城大弥の父親:宮城亨
父親の名前は、宮城亨(とおる)さん
宮城亨さんは、中学校3年生の時に事故にあい左腕が不自由になってしまったそうです。
そのため、仕事が中々見つからず、苦労したこともあったとか!
そんな中でも、宮城選手とは一緒にキャッチボールをしたり野球の話をしていたそうです。
試合の応援に行ったり、冗談もよく言う優しくて面白い父親でした。
父親・亨さんと宮城大弥選手の面白いエピソードがありました。
それは宮城選手が小学生の頃、宮城選手のために買ったビニール製のおもちゃのグローブがありました。
このグローブが固くて使うのに苦労していた宮城選手のために、亨さんは柔らかくしてあげたいと思ったそうです。
亨さんは柔らかくしようと、電子レンジでグローブを温めます。
すると、グローブはなんと溶けてしまったんだとか!
宮城選手は「お父さんグローブが溶ける魔法だね」と、父親を気遣いながらも泣いてしまったそうです。
「子ども用の革のグローブは1、2万もします。その金額は家族の1週間、2週間の生活費ですから……。数百円のビニール製グローブは、革よりも硬く使いづらそうだった。柔らかくしようと電子レンジで一度温めたら溶けてしまい、大弥を泣かせたこともありました。ユニフォームもつぎはぎだらけ。スパイクはガムテープで巻いて、試合に出たこともあった」
引用先:文春オンライン
当時は、本当に悲しい思いをしたのでしょうが、今となっては笑い話になっているそうですよ!
宮城大弥の母親:宮城礼子
母親の名前は、宮城礼子(れいこ)さん
WBCでは、妹・弥生さんと一緒にいらっしゃる姿が多数目撃されていました。
母親の礼子さんは、十分に働けない夫の分も働きながら、育児をしていたそうです。
その中でも礼子さんは宮城選手と一緒に走ったり、キャッチボールをしたりと練習に協力していました。
本当に忙しい毎日だったでしょうね!
宮城選手は、今でも母親とビデオ通話をしたりと良好な関係を築いているそうです!
プロになった息子の活躍を父親も母親も喜んでいることでしょうね。
宮城大弥の実家の貧乏伝説とは?
今やプロ野球選手となり、安定した収入がある宮城大弥選手。
しかし、実家はかなり貧乏だったといいます。
壮絶貧乏伝説と伝えられているエピソードを詳しくみていきましょう!
前述したように、宮城選手の父親は事故により、左腕の神経を損傷したため自由がききません。
そのため、なかなか定職に就くこともできず、満足に働くことができなかったといいます。
8人兄弟と大家族であるため、家計は相当大変だったことでしょう!
「大弥が育った宜野湾のアパートは6畳1間。そこに家族4人で暮らしていました。横になって寝るのも大変で、私か妻が座って寝ることもあったくらいです」
引用先:文春オンライン
父親の亨さんはドラフト選抜のとき、宮城選手には「日常生活でも大分苦労させた」と目を潤ませることもありました。
宮城大弥選手の実家の貧乏エピソードをまとめましたのでご紹介します!
貧乏伝説①:風呂代わり残り水で身体拭き
宮城家では、水道料金が払えずに水道が止められた事もありました。
蛇口をひねっても、ひねっても。。水は出てきません。
水道が止められた際は、ヤカンに残っていた水を温め、お風呂代わりに身体を拭くこともあったそうです。
「毎月、水道、電気、ガスのどれかが止められていましたから。『あと3日でガスがなくなるよ』とか家族で声をかけ合いながら、工夫して乗り越えてましたね」
電気が止まると、ロウソクの明かりで暮らし、水道が止まると、公園から水を運んできて湯を沸かし、体を拭いた。
引用先:読売新聞オンライン
電気も止まってしまうこともあり、ロウソクで部屋を照らしながらの生活。
公園から水を運んできて生活水にあてたこともあったそうです。
貧乏伝説②:つぎはぎだらけのユニフォーム
一般的には、練習のときには練習着、試合のときにはユニフォームを使用しますよね。
しかし、宮城選手は練習着を用意することが出来ず、練習のときにもユニフォームを使用していたといいます。
もちろんユニフォームには穴が空いたりしますが、補修しながらつぎはぎだらけのユニフォームを着用していたそうです。
4歳から通った少年野球チームでは、練習着を買う余裕がなかったため、試合用ユニホームだけを購入。大弥さんは、継ぎはぎだらけの試合着と700円のビニール製グラブで練習に参加していた。
引用先:読売新聞オンライン
履きこまれたスパイクは、ガムテープで巻いて試合に出場。
周囲には馬鹿にされることもあったそうですが、そんな中でも宮城選手は一生懸命練習に取り組んでいたといいます。
貧乏伝説③:遠征費用
野球部の遠征のときには、費用は各家庭の負担となります。
その遠征費用の捻出も難しかったという宮城家!遠征費の支払いが間に合わず、監督に用立ててもらったことも。
引っ越しのために使うはずだった費用を、遠征費用に充てることもあったそうです。
それでもチームメイトの母親たちからは「遠征費用を盗んだのではないか」と疑われることもあったそうなんです。
いくら貧乏な家庭といえど、盗みをしたと疑われるのは屈辱的ですよね!
貧乏伝説④:具なしカレーライス
宮城家では、家系がピンチになった月末はメリケン粉を焼いて食べたり、一週間連続でカレーライスが出されることが多々ありました。
カレーライスと言っても、具材はなくルーとご飯だけの「具材なしカレー」でした。
母親・礼子さんは、同じカレーが1週間続くことに「こんなものでごめんねぇ…」と申し訳なさそうに謝っていたそうです。
ですが、少年時代の宮城選手は、シーフードカレーじゃなく「ノーフードカレー」と笑い飛ばしていたようです。
宮城大弥選手の優しさがにじみ出ているエピソードですよね!
極貧生活とはいえ、お金では買えない家族の絆や暖かさを感じたエピソードの数々。
その経験がメンタル面でも宮城選手の強さにつながったことは間違いなさそうです!
宮城大弥の誰にも負けない野球の才能
宮城大弥選手の少年時代の貧乏エピソードを紹介しました。
前述したように遠征費など宮城選手が、野球を続けるためには様々な費用が掛かりました。
そのたびに、両親に苦労をかけていると気づいていた宮城選手。
遠征の度に「ごめんな、いつか恩返しするから」と言っていたといいます。
また、家の貧しさをチームメイトに笑われたときに宮城選手にかけた父親の言葉がこちらです。
「うちが貧しくてお前にまで迷惑をかけてごめんな。でもな悪く言うチームメイトを許してあげろ。チームメイトに代わりはいないんだ。お前が投げているとき誰がバックを守ってくれるんだ」
「それには、お前には野球がある。誰にも負けない野球の才能があるんだ。」
この言葉に宮城選手は、周りの言葉に惑わされずに、野球に打ち込むことを決めます。
宮城選手の実家は貧乏でしたが、素敵な父親と母親に恵まれ幸せに暮らしていたそうです。
「誰にも負けない野球の才能がある!」
ご両親が才能を認めてくれて、近くで応援してくれる素敵な環境は、宮城選手のメンタルの強さにつながったのでしょうね。
宮城大弥は高卒でプロ契約!約2000万円を寄付
そんな逆境の中、宮城選手の野球の才能は開花!
高校進学前には、甲子園常連校といわれる多くの高校から誘いがあったそうです。
地元沖縄の高校から甲子園に出場してほしいという父親の希望もあり、高校は地元の興南高校に進学。
興南高校では、1年生からベンチ入り、高1夏と高2夏の2回に甲子園出場を果たしました。
高校3年生の時、侍U18代表メンバーにも選出されるほどの名投手に成長した宮城選手。
「プロ野球選手になれたら、貧しい子供達が野球を続けていけるための活動をしよう!」そう父と誓ったそうです。
2019年10月17日に行われたドラフト会議では、オリックス・バファローズから1位指名を受け見事プロ契約!
父親との約束を果たすべく、プロ入団時に契約金の一部である約2000万円を出身小中学校や野球チーム、地元沖縄県の自治体などに寄付したのです。
引用先:文春オンライン
2022年、貧しい家庭環境にある子供達がスポーツを続けられるよう支援する「宮城大弥基金」を立ち上げ。
現在は、沖縄出身の3人のお子さんに支援を行っており、その子供達が18歳になるまで支援は続けていかれるそうです!
地元愛を感じる寄付活動に宮城選手の温かさを感じますよね。
高卒でプロ野球選手になる夢を実現し、プロ4年目にしてWBC代表選手にまで登り詰めた宮城大弥選手!
多くの人に感動を与えたその姿は、プロ野球選手に憧れる次世代の子供達の大きな希望となったことは間違いありませんね!
おわりに
今回は、「宮城大弥は8人兄弟で壮絶貧乏伝説とは?父親・母親が支えた感動エピソード!」と題しまして、ご紹介しました。
侍ジャパンに選出され、注目を集めた宮城大弥選手。
実家は相当な貧乏でしたが、素敵な父親と母親に支えられ、8人兄弟という大家族の中でたくましく育ってきたことがわかりました!
メンタルの強さは、WBCでの活躍にも活かされましたよね。
宮城大弥選手の今後の活躍にも注目です!
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